7.映像 (2004/10/11)
悲しみの共有を
 
由美さんの人生をどう記録するか。残された映像を前に榛葉さんは悩んだ=大阪市北区茶屋町
 作品が残った。絵と文章でいっぱいのスケッチブックは計二十七冊。二十三歳で亡くなった佐野由美さんは、ネパールに滞在した一年間の喜怒哀楽をそこに刻んでいた。

 たとえば、コピラという名の少女の物語。由美さんが教えたラリット福祉小学校のおしゃまな一年生、コピラは病気にかかる。教室でうなだれる彼女は、たった二日でやせこけ、生気がない。

 由美さんはコピラの家を訪ねる。厳格な身分制度であるカースト制の底辺の生活がそこにある。子だくさんの母は夫に逃げられ、道端で物を売って暮らしている。薄暗い部屋は食器が床に転がり、むっとにおう。

 「彼女、病気ですよね」と声をかけた由美さんに、母は問い返す。

 「私たちは貧しいんだよ。お金もない、仕事もない。どうやって薬を買うというの?」

 由美さんは買ってきた薬を手渡す。「でも私は逃げた」と、由美さんは書く。差別や貧困の問題を本当に解決するには何をすべきか、考えるのを逃げた、と。

 「私が一時的にものをあげても彼等(かれら)の行く手はないのだ。終わりのない洞察に迷いこんだような気がした。どうしてこの世は不平等なのか」

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 ネパールで、差別される側の人々を由美さんは描いた。「逃げた」と告白することで、差別や貧困の問題を告発した。

 その由美さんの生涯を記録しようと、毎日放送の榛(し)葉(ば)健(たけし)さん(40)はディレクターとしてドキュメンタリー番組を制作する。

 死の悲しみを、映像を見る側に共有してもらいたい。だから、由美さんの死を、何か象徴的なシーンで描くのをやめる。ごまかせば、彼女の人生も架空のドラマと見られないか、危ぶみもした。

 遺体安置室に横たわり、母の京子さんがほおずりする由美さんの映像を織り込む。約十秒。音楽も語りもない。

 京子さんは事前に承諾した。「榛葉さんとは何度も話をし、由美や家族のことをよく理解してくれていたから」

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 榛葉さんはネパールを訪ね、コピラの母も取材する。彼女は「去ってほしくない人は、去ってしまう」と涙を流す。

 一時間の特別番組「with… 若き女性美術作家の生涯」は、由美さんの死から一年たった二〇〇〇年四月、放送される。反響は大きく、内外で賞を受けるなど高く評価される。

 映画化の話も寄せられ、番組をリメイクした映画を榛葉さんが〇一年末に制作する。学校や地域での上映会が口コミで全国に広がっていく。