6.長い沈黙 (2004/10/10)
帰国直前の訃報
 
そして数十冊のスケッチブックが残った=神戸市長田区蓮宮通
 穏やかな春の日、近くのサクラが満開だった。一九九九年四月四日。夕食を済ませたころ、神戸市長田区蓮宮通の佐野由美さん=当時(23)=の実家で電話が鳴る。母の京子さんが受話器を取る。

 由美さんをボランティア教師としてネパールに派遣した民間団体のスタッフは、電話口で言いよどむ。「未確認情報ですが」と念を押しつつ「由美さんが事故死した」と告げる。

 京子さんは思考が止まってしまう。一週間後には一年ぶりに帰国するはずなのに。情報を得ようと、取材を通じて知っていた毎日放送の榛(し)葉(ば)健(たけし)さん(40)にも相談する。

 榛葉さんは二日前に由美さんに電話していた。「関西空港に着いたらカメラを回すから、考えておいてね」と伝えた。こう問いたかった。美術作家としてあなたは何を見つけたのか―。

 榛葉さんは現地の知人に情報収集を頼む。深夜、返答がある。「医師が死亡を確認した」。由美さんは、友人の木彫り職人が運転するバイクに乗っていたが、無謀運転のトラックに追突され、はね飛ばされたという。

 榛葉さんは迷った末、知り得た事実を京子さんに電話で伝える。長い沈黙。涙をこらえる気配。榛葉さんも言葉を失う。京子さんが「ありがとうございました」と声を絞り出す。

◇       ◇       ◇

 七日、家族らがカトマンズに着く。まず日本大使館に連れて行かれ、死因の説明を受ける。京子さんは、生々しい事故の再現を聞くのがつらい。

 補償について、職員が「この国では命の値段はないに等しい。せいぜい三万円」と話す。お金の話はいい。早く娘を連れて帰りたい。京子さんは「すぐ無条件で遺体を引き取ります」と答える。

 八日、やっと遺体に対面できる。寺院での葬儀に続き、野原で火葬にする。父の弘利さん、京子さん、兄の圭太郎さん、日本大使館の職員らが火をくべる。遺骨を家族が集める。骨はわずかしか残っていない。

 京子さんは、何も感じなくなっている。感情を表に出せない。

◇       ◇       ◇

 榛葉さんは由美さんをよく知る知人が家族に同行すると知り、「意思に沿う範囲で」と、撮影を頼んだ。取材者としての同行はしたくなかった。一方で、由美さんの人生の記録を映像に残す責任を感じていた。

 一年前、由美さんが榛葉さんから預かったビデオカメラは、事故に遭っても壊れていなかった。知人は、そのカメラで一部始終を撮った。

 テープには、京子さんが由美さんを抱く場面も写っていた。変わり果てた由美さんの表情がせつない。身内を失ったように思え、榛葉さんはぼろぼろと涙が出る。