4.出版 (2004/10/08)
長田の路地裏から
 
路地にある由美さんの実家は補修された。隣は今も空き地のままだ=神戸市長田区蓮宮通
 

 本が出来上がる。

 佐野由美さんの初めての著書「神戸・長田スケッチ―路地裏に綴(つづ)るこえ」。阪神・淡路大震災の三日後から描いた絵とエッセーを編集した。大阪芸大を卒業する直前の一九九八年二月末、初版千部が発行される。由美さんは二十二歳。

 前年の夏。鈴田聡さん(42)は、当時勤めていた神戸市灘区の六甲出版で、出版を希望する由美さんに会った。震災の本は売れない。そんな風潮がすでにあった。被災した人と街を描いたスケッチブックを見て、鈴田さんはそう指摘した。

 彼女はへこたれない。「震災だけじゃなく、生まれ育った長田の素晴らしさを皆に伝えたい」。路地裏探検や銭湯の楽しさ、市場の活気を、震災に遭って再認識したという。約一時間、自分を懸命に表現する若者を、鈴田さんは新鮮に感じる。

 八百部の予約獲得が出版の条件となる。営業担当だった世良典子さん(35)とともに、由美さんは同窓会や地元の商店に飛び込み、営業する。家族らの協力も得て、目標を達成してしまう。

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 毎日放送の記者だった榛(し)葉(ば)健(たけし)さん(40)が、印刷されたばかりの「路地裏に綴るこえ」を手にする。

 何もかも失い、元の生活を取り戻す過程で、やるべきことを見つける。そんな物語が描かれている。決して深刻ぶらない。おいしい炊き出しを友達と探しまわり、洗濯物を電線に干す人々のたくましさを面白がる。

 ボランティアも「してあげる」でなく、「自分の育った長田のために何かしたい」と、肩の力が抜けている。被災地で生きる当事者の言葉がそこにちりばめられている。

 榛葉さんは地震直後からヘリコプターに乗り、連日、リポートをした。刻々と変わる被災の全体像を空からつかもうとした。一方で、地上の一人ひとりの恐怖や不安、悲しさはわからない。一週間後、もどかしさを抱えながら地上での取材に転じる。

 あのとき、ヘリコプターの下に、彼女はいた。空から見えなかった一人ひとりの物語を、彼女の本が描いている。そう思って榛葉さんは、由美さんの取材をする。

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 榛葉さんは由美さんとともに地震から三年が過ぎた長田を訪ね歩く。被災し、更地となった父弘利さんのアトリエ跡。路地の古びた壁。にぎわう仮設の市場。テレビカメラの前で、由美さんはわが街への愛着を語った。

 その報道もあり、本は売れる。四月末には五百部増刷される。でも、そのころ、由美さんは日本にいない。ネパールで暮らしている。