3.ボランティア (2004/10/07)
何かやらな 私も
 
由美さんが制作したバーのテーブル。日々の体験を創作に生かそうとした=大阪市北区天神橋
 

 一九九五年三月。阪神・淡路大震災で被災した大阪芸術大学一年生の佐野由美さん=当時(19)=は、大阪の友人宅での避難を兼ねた居候生活を終える。

  「神戸のもんが逃げてくるな」。指導を受ける粟国久直さん(39)のしった激励に由美さんは反応する。「私は被災してる立場やから」という言い訳を撤回し、震災日記にこう書く。

  「そうや、何でもええからやらな 私も!」

  幼なじみの清田美絵さん(28)と誘い合い、神戸市長田区にあった西神戸YMCAを訪ねる。ボランティアをするために。

  清田さんは北海道教育大学一年生。震災は寮のテレビで知った。前日、神戸の実家から戻り、地震を経験せずにすんだ。でも、神戸っ子なのに震災を知らないことが後ろめたい。気になって春休みに再び帰郷する。

  二人一緒に、避難所になった小学校で毛布を配り、炊き出しを手伝う。在宅の高齢者に救援物資を届け、話をする。

  傾いたアパートの二階に住むおばあちゃんがいた。由美さんが話しかけると「住み慣れたここにいたい」という。被災体験や仕事の話を二時間、聞く。内職でハンカチにレースを縫い付けていて、帰り際、それを一枚ずつ持たされる。

  「おばあちゃん、つらい思いしてんのに、なんで優しくできるんやろ」

  自分も被災者の由美さんがそうつぶやく。清田さんには、彼女がまぶしく見える。

  由美さんは三月いっぱい、ボランティアをする。

      □

  一年後の九六年三月、由美さんは新聞で知った民間団体のプログラムに応募し、ネパールの孤児院に三週間、派遣される。選考に通った由美さんと佐坂真由美さん(30)、岩田あやめさん(27)。同世代の三人が協力し、子どもたちに音楽や遊びを教える。

  紙風船や折り紙を欲しがるばかりの子どもを見て、岩田さんは「私ら、物をあげに来ただけなんかな」と疑問を抱く。由美さんの提案でシャボン玉をする。子どもたちは石けん水まみれになってはしゃぎ、物をもらうより、はるかに喜んだ。

      □

  その年の秋、由美さんは粟国さんに手紙を書く。ネパールでの素朴な人々や豊かな民族色との出合いが「私の人間としての根っこの部分に強く浸透している」という。

  被災地・神戸やネパールでの経験が自分にどう影響したのか。由美さんは、そんなテーマを鉄板を素材にした造形に託そうとしている。美術が楽しくて仕方ない。