2.生の実感 (2004/10/06)
今すぐ描きたい
 
由美さんの自宅近くの大火。火は50メートルまで迫った=1995年1月18日、神戸市長田区御船通3
 

しんとした夜の闇を走る。ヘッドライトが映すのは、崩れ落ちた家、焦げた電柱、傾くビル―。

  富田林市に住んでいた美術家の粟国(あぐに)久直さん(39)は、阪神・淡路大震災の二日後から神戸に通い始める。当時は大阪芸術大学で絵画の指導を補助する副手だった。仕事の合間、トラックを借り、被災した知人の飲食店などから無事だった器材を運び出す。車内や倉庫で寝袋に入って泊まったりもする。

  地震の十日ほど後、神戸市長田区の学生、佐野由美さん=当時(19)=から無事を知らせる手紙が粟国さんに届く。先輩で、先生でもある「あぐちゃん」に、由美さんは張り絵をした便せん五枚分、美術への思いをびっしり書いていた。

  価値観が崩れた、という。生と死が背中合わせの状況で「美術が役に立たない」。道端の破裂した水道管で顔を洗う。砂入りのバケツをトイレにする。だから電気や水道の復旧を心から喜んだ。そんな震災後を「人間の長い歴史をかいつまんで経験した」と言い表す。

  そして、由美さんは宣言する。「美術を今やりたい」と。

  「明日、次の瞬間、ここにいないかもしれないけれど、でも今生きている。そのことを精いっぱいの形で残したい。今、生きていることを実感しながら、文章を綴(つづ)ったり、絵を描いたり、人と接したり、食べたり、…生きるべきなんですね」

  生きている足跡を描きたい。彼女の純粋な「欲求」に、粟国さんは力づけられ、読み進むうちに泣いてしまう。

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  地震の三日後、由美さんは被災した自宅に初めて戻る。今すぐ描きたくて、二階の自室から画材を取り出そうとする。余震が頻繁にあり、付き添った母の京子さんがせかす。「早く降りてきて」

  クロッキー帳やクレパス、水性ボールペン。画材だけ持ち出し、震災日記を描き始める。

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  二月中旬、由美さんは自宅近くの教会での避難生活を切り上げる。家族と分かれ、大学の後期試験を理由に、大阪の友人宅などを転々とする。皆が「大変だったね」「無事でよかった」と声をかけてくれる。

  そんなとき、大学で粟国さんと再会する。休む暇なく被災地に通っていた粟国さんは、由美さんを叱(しか)りつける。

  「神戸を立て直そうと、日本中の人が努力してるときに、神戸のもんが逃げてくるな。長田は自分の街やろ。病院でもどこでも手伝え」

  怒鳴られて由美さんは反論できない。