1.赤い空 (2004/10/05)
美術ってなんなん
 
由美さんは被災後の喜怒哀楽を「震災日記」につづった
 夜はまだ明けていない。一九九五年一月十七日の神戸市長田区蓮宮通。どうしてだろう。佐野京子さんは目が覚めた。直後、家ごと振り回されるような激震が襲う。闇の中、たんすが倒れる。

 揺れが収まって隣室の長女由美さん=当時(19)=を呼んだ。「大丈夫」と、返事がある。長男の圭太郎さん(34)は本棚の下敷きになった。助け出し、壁が落ちた階段を三人でそろりと下りる。一階で寝ていた夫、画家の弘利さんも無事だった。

 玄関を出ると、向かいにあるはずの家がない。崩れてがれきと化し、路地をふさいでいた。

 毎日放送報道局の記者だった榛葉健(しば・たけし)さん(40)は、大阪府内のマンションで地震に遭った。すぐ出社した。空からのリポートを任され、八尾空港へ。午前九時半、ヘリコプターに搭乗する。

 阪神高速が横倒しになっている。幾筋も立ち上る黒煙。長田の火事は炎が燃え盛っている。

 この惨状を被災地外、とりわけ政治の中枢の東京に伝えねばならないと思う。県外から来る消防車が渋滞に立ち往生しているのが上空からはよく分かる。放送で「不要不急の車の移動はやめて」と呼び掛けもした。給油しては再び飛び立ち、深夜まで放送を続けた。窓を開けて撮影するから、機内はひどく寒かった。

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 クリスチャンの佐野家は、近くの教会に避難する。自宅の南側一帯に火が広がり、空が赤い。由美さんの親友の家も焼けた。消防車が来ても水が出ない。

 日が暮れる。余震が続く。寒さと空腹と不安が身に染みる。由美さんは大阪芸術大学の一回生。地震までは「美術は人間に必要なもの」と思っていたが、先輩にこんな手紙を書いてしまう。

 「寒いのに家がないしお金もないのに、周りの人たちの傷も治せないのに、美術なんてなんなん。めっちゃくだらん」

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 榛葉さんも葛藤(かっとう)を抱え込む。ヘリコプター取材への批判が被災者から噴き出したのだ。

 長田区の上空で十数機のヘリコプターが旋回することもあった。騒音が生き埋めになった人の救出を妨げた、とされた。

 高度制限は厳守した。被災状況をふかんする映像の意義を信じている。それでも、助けられなかった命があったかもしれないと思うと、つらい。どう決着をつけるか。そんな思いがずっと残ることになる。

 映像と美術。後に「表現者」として互いに認め合う由美さんとは、まだ出会っていない。

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 阪神・淡路大震災をきっかけに、生きていることを精いっぱい表現しようとした若き美術作家がいた。描くことで、社会と真剣に向き合った彼女の「志」を、出会った人々の記憶から手繰り寄せたい。(記事・宮沢 之祐 写真・山崎 竜)